本の並べ方について

2017/6/1

文庫内の本を整理するにあたって、どのように並べるか、どのように分類するか、
というのが大きな問題でした。

作者別に分けるのか、物語の背景となる国で分けるのか、
登場人物が人間・植物・魚・虫…で分けるのか、分類の方法は無限です。
そしてひとたび分類方法を決めると、
そのどれにも当てはまらないはみ出しものがたくさん出てくるのです。

おとなの本/子どもの本…大人が読んで面白い子どもの本はたくさんある
動物の本/植物の本…ミドリムシはどうなるのだろう
さらには友情の本、怖い本、など主観による分け方は読む人次第。
という具合で、……困りました。

そもそも、本のとらえ方は読む人の数だけあると思うと、
分けること自体が不可能なことだと思えるのです。
(ちなみに日本で最も一般的に用いられているのは「日本十進分類法」だそう。
0総記1哲学2歴史3社会科学4自然科学5技術6産業7芸術8言語9文学)


「アフリカに、牛とくらしていて、牛を色で見分けるのがとてもうまい部族がいるそうだ。
子どものころから、小石を色で分けて遊んでいる。
その分けかた、牛の色にちゃんとあっているんだって。」
「つまり人間は、身のまわりにあるごちゃごちゃあるものを、ほんとにあつめたり、頭の中であつめたりして、それをグループに分けることをくりかえしながら知恵をつけてきた。人間の学問とか文化はそうやってそだってきたのだ。」
『分類ごっこ』森毅/著 から抜粋

分類する人間が住んでいる国や文化によっても変わってきます。
予断と偏見を排してできるだけ客観的に分類しようとしても、人間である以上
一定の思考パターンからなかなか逃れることができません。
本の並べ方で、その人間が世界をどんな風に見ているのかが現れるのです。


「人間の認知パターンから独立した客観的な性質をことごとく選んで、それらを等価とみなす限り、そもそも分類という営為は成立しない。逆に言えば、分類することは重要な基準を選ぶこと自体なのだ。分類することは世界観の表明であり、思想の構築なのである。」
…中略
「人間の認知パターンから自由である限り、すべての対象は同じ位似ている。
太陽も金魚も人間も石ころも同じ位似ているのである。」
『分類という思想』池田清彦/文より抜粋

これを「みにくいアヒルの子の定理」というそうです。

これを読んで思い出したのは、長田弘の言葉で、
「大人の本だと、いちばんの関心事がどうしても人と人との関係みたいなとこだけにいってしまいがちになるけれども、子どもの本はちがう。人に対する関係と同じように、動物に対する関係とか、川に対する関係とか、お月さまに対する関係とか、さまざまな物と深い関係が結べて、しかもそれはとても大切なんですね。」
河合隼雄と長田弘の対談『子どもの本の森へ』から

絵本の中では、主人公が動物だったり、友だちは石ころだったり、お月さまだったりします。
そんな風に世界を見ていたころは、何から自由だったのだろうと考えます。
生物学と子どもの本という、全く異なる分野からの文章でありながら、
全く無関係とも思えない事柄を見出せるのは偶然だけでもないような気がするのです。

結局、文庫の中の本は、特に分類方法を決めずに陳列することにしました。
なんとなくシリーズでまとめていたり、漫画は漫画でまとめていたり。
そして、反対にカフェ内では、テーマを決めて、選んだ本を置くことにしました。
それを、むあ文庫独自の世界観として楽しんでもらえたら、と思います。