むあ文庫は再開3周年を迎えました

2020/5/31

【再開3周年をむかえて】 むあ文庫は2020年5月、再開3周年を迎えました。本来3周年に合わせ、文庫を開けた27年前当初の資料を展示するアーカイブ展を予定していましたが、この状況により見送ることになりました。開庫当時11歳だった私が初めて発行した文庫通信第一号の通信名は「むあの箱舟」。単純な発想でつけたダジャレです。(ちなみにキリスト教徒ではありません。)でも、文庫自身があらゆる万物を集めた一つの箱、という点においては今も同じイメージをもっています。むしろ、今や絶版となった本を乗せた舟としてはますますその箱舟感は増しています。27年前からやっていることが少しも変わらないことに自分自身驚き呆れながらも、昔も今も私にとってここが大事な場所であり、又、好きな本を誰かと共有したいという願いは同じなのだと改めて思います。

【本を選ぶときに大切にしていること】 むあ文庫、その成り立ちは、私の両親が学生時代から集めだした絵本や児童文学書に始まります。40年以上前、まだ学生だった父が文庫にあるその一冊を選んだ思い、母がその一冊を選んだ思い、その一冊一冊に思いがあり、時代や家族の変化があり、文庫自身の存在意義も時とともに変わってきました。そして現在、文庫を再開してから、両親とはまた異なる思いで私が選んだ本が増えつつあります。月に一度地域に開放していた27年前とは違い、今は一杯のコーヒー代をいただき、その一部を古い本の修復や新しい本の購入に使っています。そういった意味でも運営者として入荷する本の選び方をいつかお答えしなければと思っていました。私が本を選ぶときに大切にしていること、最もその指針とするのは、自分自身の心の揺れに耳を傾けることです。その心の動きは、ともすれば滑らかでわかりやすい安易なストーリーや、手持ちの物語を寄せ集めた仮説の様なものにすり替わり、すぐに見失ってしまうほど微かな揺れです。その揺れはなんともモヤっとしていて曖昧なのですが、そこに単純明快な答えを求めたり、急いで白黒はっきりしたオチをつけようとは思っていません。そしてそれこそが、私の本選びの一つの指針でもあります。分かりにくく、オチもはっきりしない、話も明快ではない、でもいつまでも心に残る物語があります。しかし、そういった物語ほど、目立たなく、ひっそりと隠れるように存在し、絶版になってしまう本も少なくありません。私は、ゆっくりと時間をかけて沁み込んでくるような、そんな物語や本に惹かれます。私自身の身体も、また窓の外の景色も、止まっているように見える小石でさえ、変化し続けていると思うからです。たくさんの本でなくても、たった一冊の本を時間をかけて読みほどき、何に心動いたのか、何を思うのか常に自分自身に問いつづけることを大切にしたいと思っています。

【混然たる場所】 この場所は両親にとってはゼロから作り上げてきたもの、そして娘に預けたもの、私にとってはすでにそこにあったもの、そして受け取ったものたちです。店内で使う食器や家具の一部も両親から譲り受けたものを使っています。そしてそのことがこの場所の芯の様な部分であると考えています。ゼロから自分が思い描く完璧な場所を作り上げるのではなく、自分が生まれる前からすでにそこにあったもの、すでに想定外の本やものがある状態に、自分自身のいま生きる時代感覚や思いを乗せていくこと。それはゼロから何かを作り上げることと同じように想像力を要する作業です。
時代を受け継いで、たくさんの人の命を受け継いで、私はいまここに立っています。むあ文庫も何人もの人間の思いが混然一体となった上に立っています。ある意味不明確な、白黒はっきりしない、でもそのことを自然のこととしてそのままにしておきたいという思いがあります。


【いま思うこと】 読書は、本だけでは成立しません。よむ人がいて、よむ部屋があって、その部屋の外に広がる世界があります。いつものように明日が来るのかどうか分からないということが表出してきた今だからこそ、その揺らぎに身を預けて問い続けていこうと思います。ここにある本という名の紙束は誰のためにあるのか、本当に大事にしたいことは何か、ということを。

新型コロナウイルス感染症への不安がつづく日々です。
再開までしばらくの間お待ちください。
安心してゆっくりと過ごしていただける日に向けて少しずつ歩を進めたいと思います。