家事とファンタジー

2021/11/25新聞掲載

 庭のミツマタという木が枯れました。三つに枝分かれしたその樹形は面白く、根ごと引き抜いて天井の飾りにしました。このコロナ禍で、接触機会を減らすため、メニューは本型をやめて、家にあった譜面台を使うことにしました。テラスに置いているテーブルの脚は、亡くなった祖母が使っていたシンガーミシンの脚を使っています。
 文庫はずっと前から庭にありました。ずっとあったのに、私が本当にその価値を見つけられたのは数年前。すでに今あるものをよく見てその中に価値を見出すことに魅かれます。穏やかに見える庭であっても、よくよく見れば新しくサンショウの木が芽吹いていたり、ちょうど日の光が反射して虹色の蜘蛛の巣ができていたり、日々ささやかながらも事件は起こっています。

 安房直子さんという児童文学作家がそのエッセーの中で、「すこし前までは、遠い美しいものにあこがれた。…中略…ところがいま、私のまわりにころがっている物は、まな板とか、おなべとか、すりこぎとか、じゃがいもとか…おおよそ、ファンタジーとはかけ離れた道具ばかりである。そんな中に埋まっていたら、童話など書けないのではないかと、がっかりしたことがあった」。でも、そのうち「生活そのものが、作品の素材である」と思うようになったのだといいます。「台所の野菜が歌をうたい、おなべがくるくる踊る話だって、できるのだ」と。
 自分では無いと思っていても、すでにそこに在るのかもしれないと思いながら、日々の暮らしの中に目を凝らしています。「見えないものを見えるようにする」というギリシア語が語源の「ファンタジー」。ほうきが空を飛ぶように、かぼちゃが馬車に変身するように、ミシン台がお茶するためのテーブルに。暮らしの中に私なりの小さなファンタジーを見出しています。

◆ 2021年4月から毎月、某新聞紙において連載中のエッセイです。
むあ文庫をご存じない読者を想定した自己紹介的な目的もありますので、過去のブログの内容と重なる部分もあります。