そばにあること

 2022/3/25新聞掲載

 私が中高生だった頃、滋賀県庁の近くに小さな映画館がありました。エレベーターで5階にあがった先にある100席ほどのシネマホールに、家族連れ立ってよく行きました。行くのは決まって夜。夜ご飯を食べてお風呂に入って、すっかり寝支度を終えてから出かけます。日本だけでなく、フランスやハンガリー、インドや中国、イランなどのミニシアター系の作品を映すそのスクリーンから、10代の私はまだ見ぬ世界の文化、歴史、人間、そこにある日常を知ったのでした。それと同時に、映画のエンドロールに羅列される大勢の制作者たち、その名前の向こうにあったはずの膨大な時間や労力や情熱、また、映画館にいる受付の人、映写機を回す人、一緒に作品を見る私たち家族を含む観客たち、といったように多くの人間が関わってこの一本の作品と、その作品を見るための場所が出来上がっているのだという事を体感として味わっていたのだとも思います。
 一度、作品の途中で映写機が止まってしまったことがありました。「止まったよー」と言いながら父が係の人に声をかけに行くのですが、そんな出来事がまた、この秘密めいた夜の一時を共に作り上げている人たちの体温のように感じられ、今も心に残っています。その温かい灯火のようだった場所は、今はもうありません。

 いつでもそばにあるということ、その地域に一つでも文化に触れる場所があるということ、そしてそれを愛して守ろうとする人がいることの温もりを私は知っています。大きくて立派な施設や特別な図書館もいいけれど、むあ文庫はこの場所に根をおろして、今日も小さな明かりを灯していようと思います。いつでもそばにあって手に取れる佇まいを持った絵本のように。

◆ 2021年4月から毎月、某新聞紙において連載中のエッセイです。
むあ文庫をご存じない読者を想定した自己紹介的な目的もありますので、過去のブログの内容と重なる部分もあります。