懐かしいのその先へ1

 2021/4/25新聞掲載

 生まれて初めて傘をさした日の話、鳩と年老いた職人との別れの話、鹿に恋をする元会社員の話、キツネのついた嘘の話。そんな物語が並ぶ文庫を両親が開庫したのは今から28年前のことです。週末だけ開くこの場所では、珈琲片手に絵本と児童文学書、児童文学にまつわる関連本など約4,000冊の蔵書を読んでいただくことができます。

 むあ文庫、その成り立ちは、私の両親が学生時代から集めだした絵本や児童文学書に始まります。当初は児童文学への自らの興味のため、そして家族ができ子どもが生まれてからは娘である私と妹のための本も加わり、そして現在、両親とはまた異なる思いで私が選んだ本が増えつつあります。

 文庫を建て、月に一度開放していた開庫当初から時が経ち、子どものために存在していた文庫は私たちの成長とともにその役割を失いつつありました。10年の休庫期間を経て新たにつくった喫茶空間とともに再開して4年。今は一杯のコーヒー代をいただき、その一部を古い本の修復や新しい本の購入に充てながら娘である私が運営しています。「懐かしい」というだけではない、その先にある新たな物語との出会い、老若問わず今この時代を生きているからこそ心に響く物語をよむための場所をつくろうと思いながら文庫を開ける日々です。それは同時に、忙しさに流されゆく毎日の中で後回しにされがちな文学や芸術が、日常の中で生き続けていくための私自身にとっての挑戦でもあります。

◆2021年4月から毎月、某新聞紙において連載中のエッセイです。
むあ文庫をご存じない読者を想定した自己紹介的な目的もありますので、過去のブログの内容と重なる部分もあります。